“皮が薄くなるまで”——戦後世代が愛した果物

フルーツギフトの舞台裏

“皮が薄くなるまで”——戦後世代が愛した果物
— メロンに込められた、ひと口の重み

「皮が薄くなるまで食べてたのよ、役員たち。まるで笑い話みたいに。」

母が笑いながら語ってくれたその光景は、昭和の“贈答文化”を象徴しているように思えた。

当時、母が勤めていたのは、日本を代表する繊維・化学メーカー。
社内の接遇を一手に担い、役員会のランチの後には、必ず“締めのフルーツ”が用意されていたという。

「ご飯は残しても、フルーツは絶対に残さなかったわね。
それだけ、大事な“ごちそう”だったの。」

戦後を生きた彼らにとって、果物とは“ごちそう”そのものだった。
バナナ1本が150円(現在の価値で1,000円以上)もする時代を子ども時代に生き、メロンやマンゴーなんて夢のまた夢。
だからこそ、大人になっても果物を粗末にしない。
ひと口、ひと口に、重みと敬意が込められていた。

糖尿病の薬を飲んでいる役員には、グレープフルーツを避けるなど、体調に配慮したフルーツの差し替えもあった。
個々に合わせた気配りがあったのは、果物が“もてなしの象徴”だったから。

そして、果物のカット技術もまた“美しさ”の一環。
母は、宮内庁御用達の老舗「万惣」から、果物の切り方や盛り付けを教わったという。
「見た目が整っていないと、失礼になるの」
そんな意識が、贈り物としての果物に息づいていた。

今も、果物は高価だ。
日常で贅沢に食べられるものではない。
けれど、そのぶん丁寧に扱われる。
人の想いや健康を大切にする気持ちが、そこには込められている。

プレジールは、そんな文化の延長線上に立ちながら、
大切な人の「健康」と「想い」をつなぐ存在でありたいと願っている。